昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

私の未来予想図

彼女が東京を離れることになった。

彼女とは、前にも書いた料理上手な友人のことである。

  彼女が教えてくれること

 

付き合いのきっかけは、お互いの夫同士が同じ会社で

気の合う同期だったからなのだけど、

それだけで必ずしも友人になる道理はないから、

多分他に、なるべくしてなった理由があったのだと思う。

 

こうして何度見送っただろう。

彼女は、夫に転勤がある度、国内でも海外でもついて行った。

ひきかえ私は、転勤とは無縁。

結婚して最初の転勤辞令が出たすぐ後で、夫が会社を辞めたからだ。

 

だから、数年単位で引っ越しする生活が

どんなものなのか想像もつかない。

3年前の自分の引っ越しの大変さを思い返すと、

あれをずっとしてきた彼女を、無条件ですごいと思う。

 

彼女のすごいところは、それだけではない。

行く先々で仕事を見つけ、友達をつくり、その土地を満喫する。

彼女を見ていると、頭のいい人というのはこんなふうに

交友関係も行動範囲も、わけなくヒョイヒョイ広げていける人のことを

言うんだろうと思う。

 

私はすぐ怖気付き、怠け者で面倒くさがりで、グズグズしているから

私が転勤族だったらきっと、荷解きをして

なにもしないまままた荷造りして

箱にものを入れたり出したりしているうちに

人生が暮れていく気がする。

 

しばらく会えなくなるからと、彼女が時間をつくってくれた。

年齢的にこれが最後の転勤になるかも、と言っていた。

来年、遊びに行く約束をした。

 

いろいろ話している中で、ちょっと意外だったのは

「私は何も確かなものを手に入れていないし、何も成し遂げていない。」

と彼女が言ったことだ。

 

果たしてそうだろうか。

カタチあるものをたくさん持っていることが、人間の価値じゃない。

どうしたって人から奪われないものを、経験や学びや愛やそういうものを

自分の内側にどれだけ持っているかが大事なんじゃないか。

そういう意味では、彼女はもう

手に入れているし成し遂げてもいる、じゅうぶんに。

 

でも私ときたら「そんなことないよ」とすぐさま否定した後に

何かもごもごしゃべった気がするが、気の利いたことも言えずに

話題が変わって、ずいぶん経ってからこれを書いている。

あぁ、今度ちゃんと伝えなきゃ。

 

そんな彼女と私の共通の課題。

それは、あと少し年を重ねてから自分をどう活かしていくかってこと。

 

転勤が終わったり、子育てが落ち着いたり、

残りのライフステージがいくつもないよねってなったとき。

なんとなく自分のことは二の次で、脇役気分に慣れてしまっているけれど

パッと切り替えてまた、自分の人生の主役を張れるものなんだろうか。

 

そんなこと考えなくたって、自分は自分の人生の主役なんだとしても、

私は例によってまた怖気づいて

「私はいいです」って及び腰にならないだろうか。

そこから、あともう少し人様の役に立ちたいって思ったとき

一体自分に何が出来るんだろう。

 

それがまったくわからない。

今は目の前のことに夢中になって、見て見ぬ振りできるけど

それが無くなった後がこわい。

 

ただ、ずっと忘れないでいたい。

目に見える、カタチをなしたものを残そうとしなくていい。

わかりやすい評価や称賛もいらない。

人との絆や結びつき、そこから生まれるものを見つめよう。

そこを中心に据えて考えたなら、おのずと

自分の活かし方がわかる、そんな気がするのだ。

甘いかな。でも、今はそう思いたい。