昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

渋谷 〜wander for 7minutes〜

友人に会いに久々に電車に乗る。待ち合わせの店は原宿駅が近そうだったが、おいしいランチの前に少しはカロリー消費しようと、渋谷駅から歩くことにする。経由することはあれど、降りなくなって久しい渋谷。90年代はよく来てたんだけどな。っていつの話?

 

快晴の公園通り。あちこちの大型スクリーンから流れる大音量のコマーシャル。自由なファッション。カオスな人種。「ネオ東京」を地で行くような街の様子が面白い。なにかのセットかテーマパークにでも来ているみたいに現実味がない。でも、悪い気はしない。面白い。

ふと、既視感のある建物。なんだっけ、ここ。来たことあるよ。一歩近づくごとにモヤが晴れていく。そうそう、ここ、インザルームがあったとこじゃん。へぇー、いまはニトリになってるんだ。

インザルームは、言ってみれば丸井のインテリア館。他にも新宿とか自由が丘とか、90年代はあちこちにあったと思う。就職して初めてのひとり暮らしに必要な家具は、ここで買ったんだった。椅子なんて、いまだに使ってる。

 

90年代。日本にいろんなことが起こった10年、私はずっと変わらずインテリアを追いかけていた。終電が22時には終わるローカル育ちの私は、90年代初め、新宿区でひとり暮らしを始めた。嬉々として自分の巣づくりに夢中になった。

そのころ「anan 」がしょっちゅうインテリア特集をしていた。「狭い部屋を工夫して使いやすく」とか「ワンルームを居心地よくするアイデア」とか、ひとり暮らしを楽しむインテリアの提案が満載だった。どれも社会人駆け出しの給料で手が届く夢だった。亡くなられたインテリアスタイリストの岩立通子さんがご活躍の時代で、インテリアを仕事にしたいという気持ちが芽生えたのもこのころ。私は程なくして会社を辞め、アパートを引き払い、田舎へ帰った。なんの迷いもなく、あっさりしたものだった。そのためなら、手放すことに勇気は要らなかった。残業のない派遣社員として働きながらお金を貯めて、インテリアスクールに通い始めた。90年代半ばのことだった…(後半は長くなるのでskip)

 

そうだよね、そう。楽しかったよね、90年代。悩みといえば、自分のことばかり。私にとって、贅沢な時間の使い方ができた時代だったんだ。前を歩く厚底スニーカーの彼女も、鼻にピアスつけてるお兄さんも、いまは実感ないかもしれないけど絶対におじさんおばさんになるんだから。いましかできないことをしてね。って、それ、私みたいにずいぶん後になって気づくのも、いいものかもしれない。それとも80歳の私が目の前にいたら、いまの私に同じことを言うかな。「いましかできないことをしなさい」って。

 

それにしても快晴。「いま着いた」と友人からLINE。「おぉ、私ももうすぐ」お店のドアを開けると、カランカランと小気味いい音がした。



 

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