昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

たかがまんじゅう されどまんじゅう

今週のお題「あんこ」

 

週末、実家に帰っていた。

(今回は)家出ではない。

 

若い頃は、“実家に帰る=のんびりさせてもらう”だったのが

この頃はそうもいかない。

高齢の両親では手の回らないあれこれを 

この数日で できる範囲で片付けて帰る。

 

とは言え、両親から「これお願い」と言われるわけでもなく

自分がやりたくて ちょこまかと動いているのである。

長年のうちに染みついた じっとしていられない性分が

こういうときにまで発揮されるらしい。

 

いちばん達成感があるのは なんといっても掃除である。

なかなか手の届かない箪笥の上や裏側の埃を取ったり

窓の桟をぴかぴかに拭き上げたり

そういう些細なことなのだけど

掃除をした後は清々しい。

心なしか 空気まで輝いたように感じる。

何より 両親がそのように喜んでくれるのでなおさらだ。

自宅では いくらしてもこれほど感謝されることはないから

それで益々気を良くして 何かしてあげたくなる。

こんな単純なことで、ひとの気持ちはひょいと

前向きになれるのだなあ。

 

高齢ゆえ出来なくなったことも多いけれど

好きなものを作って食べ

花壇に花を欠かさず

玄関の軒先の ツバメの巣の様子を

毎年楽しみに見守っている。

そんなふたりの姿を見るにつけ 

この平和な時間が

いつまでも続いてほしいと思う。

 

実家からの帰り道、必ずお土産に買うのが

「埼玉銘菓 十万石まんじゅう」である。

私のこしあん好きは このまんじゅうからきている

と思うくらい 小さな頃から慣れ親しんだ味だ。

“うまい、うますぎる”は 十万石ふくさやさんの知る人ぞ知るキャッチコピー。
無名時代の棟方志功氏が十万石のために描いた絵は、忍城の姫君か。

 

程よい甘さの しっとりさらさらした口当たりのあんこは

緑茶との相性も良し。

その餡を包む薄皮は つくね芋という大和芋をすりおろして

コシヒカリ米粉と混ぜ合わせて作られている。

(ということを、これを書いているときにHPを見て知った)

ほんのり甘い香りは この皮だったんだ💡

 

まんじゅうの入った小さな包みを抱えて

電車にガタゴト揺られていると

とても ほっとした気持ちになる。

両親は歳をとり 私もまた同じだけ歳を重ね

時には 何もかもが変わってしまうような気がするけれど

こんなふうに変わらないものもある と思えるからだ。

 

13年前の震災直後、世間がガラリと変わってしまったと思ったけれど

いつもと変わらずに咲いた 桜の樹を見上げながら

変わらないものの尊さを知った。

十万石まんじゅうも それに似ている。

なんというか こころの礎みたいなものかもしれない。

 

いつものやつ

 

まんじゅうは家族も好きで いつもあっという間になくなってしまう。

3人で1日にひとつずつ食べると ひとつ余る。

それが誰の口に入るかは言わずもがな である😎