昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

ギフト 〜忘れたくない出来事〜

もう、何年も前の話です。

 

ある時電話が鳴って、出てみると「ピーヒュルヒュルヒュル…」 

あ、これは FAXだと受話器を置きました。届いたものを見てみると、書籍の申込書でした。本のタイトルの横に丸印かなんかをつけて、代金の合計金額を記入する。それを出版社にFAXして購入を申し込む。と、こういう流れのようです。出版社名は誰でも知っているような大手でした。

 

はて、どうしてこれがうちに?とよくよく見れば、 書いてある送信先のFAX番号がうちのとそっくり。しかも印字が少し潰れているのかフォントのせいか、見ようによってはまさにうちの番号です。

あら、これどうしよう。放っておいたら、この人のところにいつまでも本が届かない。それはお気の毒ではないかしら。とても楽しみに待っているはずだもの。

FAXの送り主の氏名や電話番号が書いてあったので、こちらから電話してみることにしました。園芸関連の本をたくさん申し込んでいる。自然を愛する人だから、きっと変な人じゃないよね。少し緊張しながら「プルルルルプルルル…」と呼び出し音を聞いていると「はい」と男の人が出ました。ご年配のようです。

「あのぉ、わたくしそちら様から先程FAXを受け取った者なんですが…」と事情を説明すると「まぁまぁ、これは失礼いたしました。ご親切にありがとうございます」と大変感謝していただき、いえいえ、連絡がついてよかったです、とすんなり一件落着しました。

 

それから10日程経った頃でしょうか。また、例の出版社宛の FAXが届きました。もちろん、別の人からです。あれ、まただと 目をやると、英会話の教本と手芸本を申し込んでいらっしゃる。うーむ、困ったもんだ。そう思いながらも、どんな方かしら、きっと好奇心旺盛で落ち着いた感じの人ではないかしら、などと送り主のことを想像したりもしました。

 

その後も何回か、 FAXが届きました。私はだんだん慣れていき、ハイハイ、今度はどちら様?と、「迷子 FAXお届け人」としての職務を果たしていきました。正直、ちょっと楽しんでいたかもしれません。なにしろ、みなさんに「ありがとう」と言ってもらえるのですから。

でもそれ以上に私の心を満たしていたのは、「話す」という行為そのものだったように思います。

 

その頃の私は息子を出産したばかりで、いつも疲れていました。高齢出産ということもあったかもしれません。いつまでも体がしゃっきりとしなかったし、慢性的な寝不足でした。やっと授かった命を、どうにか無事に、死なせないように。そんなふうに気を張って。眠りも浅く、夜中に何度も目を覚ましては、息子がちゃんと息をしているか確認する毎日でした。

それと同時に、なんとも言えない閉塞感を感じていました。社会から取り残されたような、誰とも繋がっていないような、そんな感覚です。夕方になると黄昏泣きをする息子をあやしながら、自分も泣き出しそうになる。孤独だったのだと思います。

 

そんな時に、あの迷子 FAXが届きはじめました。あれはもしかすると、誰かと話すことが必要だった私への、贈りものだったのかもしれません。大袈裟かもしれないけれど、そう思うのです。みなさんと話した後は、心の中にきれいな空気が通り抜けたように、清々しい気持ちになりました。たくさんの「ありがとう」をもらった私ですが、私も心から「ありがとう」を言いたいです。

 

その後、出版社の番号を調べて迷子 FAXのことを伝えると、 FAXはぱったり来なくなりました。

ふと思い出したので、ここに書いておきます。