昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

解き放つ

少し前から「おしゃれ迷子」という言葉を耳にするようになった。

“年を重ね、自分の風貌の変化に戸惑い、似合う服がわからなくなって途方に暮れる人、またその様子“

そう辞書に書いてあるわけではないが、私なりの解釈ではこんな意味で使われていると思っている。言い得て妙である。「それって私だわ」ときっと日本中の元乙女が呟いていることだろう。

 

街を歩けば、ショーウィンドウに映る姿にギョッとする。数秒の間は気づかない。ん…⁉︎と二度見して、どこかのおばさんが自分だと判明する。不意打ちであるから、余計にショックなのかもしれない。せめて姿勢くらいはと胸を張れど、内心は動揺しまくっている。

ショップの鏡の前で服をあてても、しっくりこない。試着しても、思ってたんと違う。もう世界中どこを探しても、私に似合う服なんてないんだー。絶望だけぶら下げて、家路につく虚しさよ。あー、虚しさよ。

 

子どもが生まれて、自分のことは後回しになった。確かに子どもに手のかかる時期は、自分に手間暇かける時間はなかった。けれどそれはいつしか呪縛となり、少し余裕ができた今もその「後回し」から自分を解放できていない。「自分のことを後回しにする」ことが「自分に無関心になる」ことにすり替わってしまった、とも思う。これでいいはずがない。

 

人の目を気にするでも、年齢に抗うでもない。ただただ、着てみたい服を買ってみた。人がどう思うかじゃなく、自分がどう思うかが大事。いま、ありのままで楽しもう。

明日からは、マスクの着用も自己判断になるという。いざ外してよしとなるとちょっと身構えてドキドキする。でもおしゃれを楽しむいい機会かも。

元乙女よ、エプロンを脱いで街に出よう。Let  it  be!  Let  it  be!