昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

人にものを頼むときは

ある日、もう少しでお昼って時に

インターホンが鳴りましてね。

出てみると、見知らぬおじいさんが立っていました。

 

「○○だけど…ご主人いる?」

こんにちはとか はじめましてとか

そういう挨拶もなしに いきなり始まった会話です。

おじいさんが名乗った「○○」という苗字は、知っていました。

数件先にお住まいの方と同じ苗字です。

だけど、ご主人とは一度もお会いしたことがありませんし

日頃からのお付き合いもありません。

 

「夫は仕事で出ていますが」

そう答えますと

「ちょっと相談で来たんだけど」

とおっしゃる。

 

それによれば

おじいさんの奥様が外出した折に 気に入った商品を見つけた。

それは(詳しくは書けませんが)受注生産品で 

本人は気に入ったけれど 注文した覚えがない。

にも関わらず自宅に電話がかかってきて 

「商品が出来上がりましたので品物をお渡しします。

 その時にお代を頂戴したい」と。

その代金が数十万円するのだそうで。

おじいさんは、これを「詐欺」だと思っているらしい。

 

なるほど、概要はわかりました。

で、改めて なにをご相談されたいんですか?と聞いてみますと

こうおっしゃいました。

「(自治会の)班長なんだから、相手と話をして解決してほしいんだよ」

 

この時点で 私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいに。

   ❓❓❓❓❓…

「いやいや、それは班長とは関係ないお話では?」

と言ったところで

「町内で起こったことなんだから、相談に乗らなきゃダメだ」

てなもんです。

 

これがね、普段から懇意にしているご近所さんでしたら

私だって 相手にちょっと電話でもして

経緯なり言い分なりを聞くくらいしたかもしれない。

または ものすごく困った様子で

「この辺りで頼れる人がいないんだよ。助けてくれないかい?」

と言われたら…。

 

ところが不思議なもので

班長なんだから」という枕詞がついた途端、心は頑なになります。

そんなの班長の仕事じゃないし、なんなら班長は夫じゃなくて私だし。

さらには

「俺は自治会長だってやったことあるんだよ」

だって。

だから何だというのでしょう。

 

ガラガラガラガラガラ…(心のシャッターが降りる音)

もう閉店です。「蛍の光」が流れています。

 

北風と太陽なら、間違いない。

あなたはそう、北風なのさ。

こんなに頑なにしちゃってどうする?

人間、心が動いてこそ体も動くってもんじゃあないの。

そもそも 人にものを頼むときは…£※$€〆“➿(心の声)

 

でもまあ、無下に突き放すこともできませんから

 消費者ホットラインにお電話してみたら? 

 契約書がないなら 無視して大丈夫では? 

 心配なら警察に相談されてみては?

等々、お話して 納得はされていないようでしたが

なんとかお引き取りいただきました。

あー、チカレタ。

 

その後、考えちゃいましたよ。

お子さん、いらっしゃると思ったけど相談できないのかな 

人の心理ってもんをわかってないと 自分が苦労するんだな 

なんて、いろいろね。

 

人に頼るって いいことだと思うんです。

ひとりで抱え込むことないし 

頼ることで 自分では考えつかない方法を知ることもあれば

それがきっかけで ものごとがいい方向へ進むこともある。

よりよく生きるためにお互いの存在がある、と思うから。

 

けど、なんだろう。

損得なしに それを求めるなら

肩書きや役割を脱ぎ捨てた 人と人どうし

心が通い合ってこそなんじゃないかって

そう思うんです。

 

 

 

 

捨てなくても大丈夫(?)

やめてみよう、と思っていることがあります。

それは「ディフューザーを買う」こと。

 

いままでなんとなく、玄関とトイレ、廊下の棚に置いていました。

でもこれ、ホントに“なんとなく”なんですよね。

なんとなく いい香りがすると気分がいいかも。

なんとなく おしゃれな感じがするかも。

で、なんとなく続けてしまっていた。

よくよく考えて

自分のなかで どうしても続けたい習慣ではないと気づきました。

 

一方で お香を焚いて

たゆたう煙を眺めながら 香りを聞く

その行為はずっと好きで続けてきたこと。

香りの習慣は この際 お香だけにしてみようと思います。

 

ちょうどひとつ 使いきったディフューザーがあったので 

容器を洗って 資源ゴミに出しました。

でも、なぜか回収されなかったのですよね。

ビンじゃないのかなあ、これ。

持ち帰ったら

夫が「もらっていい?」というのであげました。

 

あら、いいじゃない💡

数日後 こんなふうに飾ってありました。

上にのってるのは鉱物で フローライト(蛍石)。

窓辺に飾ると 光が透けてとてもきれいです。

捨てずに闇雲にとっておくのではなく

こうやって活かすのって 好きだわ。

(ちなみにこれは ニトリのものです)

 

つづいて 夫の本棚の不思議な光景。

シュール

バナナがブックエンドになっちゃってますね😆

このバナナはもちろんおもちゃで 息子が赤ちゃんのときに買ったもの。

ぎゅっと握ると グニャグニャ動くんです。

捨てようかなあ、なんて思っていたところ 

いつの間にか こんな使われ方をされてました。

ブックエンドにする発想、私にはなかったわあ。

 

お役目を終えたものも

処分する前に一度 頭を柔らかくして活かす道を考えてみると

目から鱗な現象が起こる…かもしれない。

 

まあ、なんでもかんでもとっておくのはアレですが

活かし方を面白がる余裕を持っていたいものだな

と 思った次第です。

 

 

そうそう、今ちょうど こんなMook本を読んでいまして…。

「捨てなくても大丈夫」宝島社 

人の家を見るのが好きっていうのもあって

ものを愛する人々のお部屋と インタビュー記事を興味深く見ています。

 

そこで改めて思ったのは

「ものを大切にする」とは

捨てずにしまっておくことではなく

きちんとものと向き合って 心を傾けること。

それが出来れば ものが多くてもいいんじゃないか ということです。

 

そして 大量のものを遺すなら

貰い手や 処分してもらうあてを見つけて お願いしておくこと。

さらに 処分のための費用も遺すこと。

 

捨てなくても大丈夫かどうかは そこまでの準備ができるかどうか

によるのだと思います。

まあでも、「死んだ後のことまで考えられない」という人もいるわけで😇

永遠のテーマですな。

 

 

おまけ

地味な写真ですみません。

これ、寝室の壁に開いている穴なのですが

私がヒスを起こして壁を殴ったわけではありません。

 

前オーナーの話によると

この壁の中に テレビの配線が入っているそうです。

(中古で購入した家です)

壁掛けにする予定が、結局しなかったみたい。

下地が部分的にないので破れやすいのですね。

手っ取り早く絵でも飾って隠したいところですが

位置が腰のあたりなので ちょっと変。

 

将来リフォームするときにきちんと塞ぐとして

思いつきで 遊んでみました。

こんにちは

フリー素材のイラストを参考に 切り絵を作ってぺったんこ。

少しもの足りないかなと、あとから三日月も追加して。

せっかくのいいお天気なのに
外にも出ないで せっせと穴を塞いでいた私。

あぁ、なんて地味なの とは思いません。

楽しかったから、いいのです。

 

 

荒天の春にゆっくり浮上する

ぱっと晴れる日がなかなかない。

桜も 曇天だと華やかさが半減しちゃって残念だ。

部屋は薄暗く なんだか気持ちが底の方に沈んでいる。

でもこれって お天気だけのせいではないと

薄々気づいている。

この春から 自治会の役員になって(しまって)

その役割が意外と重いので それもある。

うん、絶対そう。

 

みなさん、自治会にはお入りになってますか?

私の住んでいるところは

かなり高齢化が進んでいて

高齢を理由に班長をパスする世帯が多いんです。

そうなると 班長のサイクルが今後どんどん短くなる。

私なんて50代だけど この辺りではざっくりと若い方に入る。(笑)

いやいや 笑いごとではない。

自治会にとっても「高齢化」は 深刻な問題だ。

役員の引き受け手が慢性的に不足するっていうのもあるけど

仕事の負担をどうにかしないと。

(若いから動けるでしょ、は大間違い。若いと仕事に子育てにと忙しいのである。)

未来永劫、今までと同じやり方でいいとは思えない。

たとえば回覧ひとつにしても 電子化すればものすごく楽になるし

紙ゴミが減って エコでもあるんだけど

実際のところ そう簡単にはいかない。

アプリの使い方とか レクチャーしないとだし

もしかしたらネット環境から?

そういう合理化に対する 反対勢力もあったりして。

あぁ、ジレンマ。

 

自治会と完全に同じではないけれど

昨今、PTAだってその在り方が見直され始めている。

かつてPTAの役員をやって

そのとき思ったのが、PTAって誰のためにあるんだろうってことだ。

全国、都道府県、市、区とそれぞれにPTA組織が乱立して

学校のPTAの仕事だけでも大変なのに

学校PTAが所属する 上部組織のPTAの仕事までしなければならない。

PTAで消耗して うちに帰って自分の子に笑顔を見せる元気がないという

元も子もない状況下にいる人は

今も少なからずいるだろう。

昨年だったか、東京都の小学校PTA協議会が

日本PTA全国協議会を脱退したけれど これはまさに

活動のシンプル化を目指した自然な流れだろう。

 

小学校の役員時代は いくつかの仕事をまるっと無くして 

それなりに合理化を果たすことができた。

(合理化のために役員になった。)

それも 同じ考え方の同志を見つけるところから始めて

エネルギーがいった。

組織の中で無くしたり変えたりは 大変な場合が多いけど

メンバー次第で 案外できるものだとそのとき感じた。

自治会はどうだろう。(難しそう😇)

 

 

 

昨日はなんとかお天気がもったので

ずっとしたかった草取りが少し出来た。

草取りってとても地味だけど、個人的には

心の安定の特効薬になるので 好きな作業。

無心になれて、小さいけれど達成感がある。

 

その後、庭で咲いたクリスマスローズラナンキュラスを生けた。

変わり映えのしないインテリアに少しの変化。それでもうれしい。

打って変わって、今日は春の嵐が吹き荒れた。

庭の花たちは、強風に激しく揺さぶられているのに

なぜか悠然として見えた。

しなやかって、最強なのかも。

しばらくその光景から 目が離せなかった。

こころがふわりと 浮き上がっていくのがわかった。