昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

愛してこう、ずっと。

ここに引っ越しが決まった3年ほど前、不用品を徹底的に処分した。

何に使うかわからないコードや、どの鍵穴のものか永久に謎のままの鍵や

痩せたら着ようと思って取っておいた洋服達とも さよならした。

 

その一方で、元来「もの」好き、インテリア好きであるゆえに

長い年月かけて少しずつ集まってきた 雑貨の類いは

みんな残らず引き連れて、ぞろぞろと大移動をした。

 

「長い年月」の始まりは、大学を出て一人暮らしを始めた頃だから

まあまあ長い。(長いのはわかったってば)

このテディベアとの出会いも、27年前に遡る。

コンニチハ

 

当時の私は駆け出しのインテリアコーディネーターで

なかなか現場に出してもらえず、事務所で電話番や事務作業ばかりの

悶々とした日々を送っていた。

でも、せっかく就職できたのだし

初任給で何か記念になるものを買おうと思った。

その何かがテディベアになるとは 予想もしていなかったけれど。

 

会社帰りになんとなく気が向いて、ふらっと立ち寄ったのが

この子が居たテディベア専門店だった。

それほど広くない店内の壁一面に 

整然と並んだベアたちに最初は圧倒されながらも

気持ちが落ち着くと

同じように見えていたテディベアにも 個性があるのがわかってきた。

「毛やリボンの色、表情、そのどれをとっても、ひとつとして同じものはないのですよ」

なるほど、その通りだ。

買うつもりなんてなかったのに、見ているうちにテディベアの魅力に

すっかり はまってしまった。

どの子を連れて帰ろうか。

端から順番にじっくり見ていって、直感で決めたこの子とは

人生の半分近くを共にしてきたことになる。

 

こんな風にして集まった雑貨たちを想うとき

所有しているというよりは 一緒に暮らしている感覚がある。

そしてこのテディベアに関しては

一方通行の愛情というよりは 見守られてきたと感じる。

取り繕いようのない素の自分をずっと

平穏な日々も

嵐の日も

弱っちくて情けない時も

全部 見ていてくれた。

そんな気がするのだ。

 

泣いたり笑ったり、クラゲは忙しい人だね

 

雑貨好きな私の ものとの付き合い方はこんな感じで

相変わらず 飾る生活を楽しんでいる。

だけど、飾ってもいいし 飾らなくてもいい。

人それぞれ安心できて 身も心も伸びやかになれる空間なら最高だ。

 

最近思うのは、好きなものや ときめくものがあってよかったなってこと。

そしてずっと変わらずに ただただ愛せる何かがあって 

それを継続できる日々は当たり前じゃないんだってこと。

こんなにも長く その時間を与えられてきた私は

今更ながら なんて無自覚だったのだろう。

 

世界を見れば 時々罪悪感が心の中に入り込むけど

だからこそ、自分と自分の大切な人たちが幸せでなければと思う。

何かを愛する気持ちが尊いのだということを

この先も忘れないでいたい。