昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

手と心

昔ハマっていたアメリカの連続ドラマ「Sex and the City」で

こんなシーンがありました。

 

***

陪審員に呼ばれたキャリー(主人公)が、裁判所の待合室で

同じくソワソワと待つおじさんの奇妙な行動を目にする。

おじさんが、唐突に鞄から取り出したのはパパイヤ。(多分そうだった)

それを、大事そうに掌で撫でて ほっとした表情になる。

 

キャリーは内心

「え?どうして鞄からパパイヤ?」

と驚きながら 笑いを堪える。

***

 

確かに 突拍子もない行動かもしれないけど

私は このおじさん、そんなに変だとは思わない。

というのも 手触りがいいものを掌で包み込んだり

指先でその質感を感じたりすることには

癒しの効果があるなあと思うからです。

何に触れたら癒されるかは 人それぞれで

このおじさんにとっては それがパパイヤだったんだろうと想像します。

 

一緒に暮らす動物と触れ合うとき

趣味の道具を手入れするとき

子どもと手を繋ぐとき

心地いいと思う手触りからは

単なる感覚以上のものを受け取っている気がします。

 

私の場合は たとえば拾ってきた石ころだったり

気に入っている石たち

最高に気に入っている石たち

 

雑貨だったりします。

陶器や木、木の実の質感を味わう

飾って視覚的に楽しむ以外にも 

触れてその質感を味わう時間が とても好きです。

なんというか、じわじわと でもダイレクトに

安らぎの波動が心に届く感じです。

 

器にもまた そんなところがあります。

器の表面を「肌」といいますね

両手で包み込んで

「器の肌」から伝わるものに静かに感覚を研ぎ澄ましていると 

心が落ち着いていくのがわかります。

掌は繊細で たくさんの神経が集まっていそうですが

何か 心につながる回路のようなものも仕込まれているのではないか

そんなふうに思うことがあります。

(「掌」は「たなごころ」とも読みますが、この「こころ」は

中心という意味らしいです。でも、心とも無関係ではない気が…)

 

本は、やはり電子書籍よりは紙の方が好きです。

紙の質感や本の重みを手で感じるのも、読書の楽しみ。

おばあさんになって視力が衰え

読書が難しくなっても

手で本の感触を確かめながら

受け取ったものを思い出したいと思うのです。

古い本の紙の匂いも好きです

 

息子の受験当日は 学校が用意してくれる保護者控室か

近くのカフェかどこかで 試験の終わりを待つわけですが

それはもう落ち着かないんじゃないかと。

そこで、お守りがわりに石ころを持っていって

にぎにぎしていようか、なんて思っています。

心落ち着くのが、パパイヤじゃなくてよかったかもしれません。

2月の初めは、まだ出回ってないみたいなので😆