昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

大事なものは引き出しのいちばん奥にあるのかも

ブログ書こうなんて思って はて、何を書こうかと頬杖ついて 

パソコンの画面をいくら眺めても 

結局なんにも出てこなくて諦めることがある。

何かあるかなと 片っ端から開けた頭の中の引き出しは

ぜんぶ空っぽで すっからかんで

ひっくり返してパンパン叩いても、塵ひとつ落ちてこない。

 

そうだ、こんなの書いてみようと思い立って、書き始めて

みることもある。

すると今度は、筆が一向に進まない。

いや、ペンで書いてるわけではないから違うか。

とにかく うまくまとまらない。

書いてるうちに 言いたいのはこんなことだったっけ?

とわからなくなったり 面倒くさくなって放り出したりして

書きかけの下書きが 溜まっていく。

中途半端なつまらないものしか詰まっていない。

そう思える引き出しをなかったことにして 

そっと閉めること度々である。

 

書くのは諦めて、ほかの方々のブログを読む。

読んでいるうちに 気持ちが晴れていく。

なるほどと思わず膝を打ったり、笑ったり、しんみりしたり。

そのうちに、そういえば私の引き出しにも

同じような経験や気持ちが入っていたなと思い至るのだ。

私の引き出しにも ちゃんと入ってた。

ただ、見えていなかっただけなんだ。

いくら探しても見つからなかったものが、探したはずの引き出しから

ひょっこり出てくるみたいに。

引き出しの奥に眠っていた 取るに足らないちっぽけだと思っていたものは

実はそうでもなくて

ちゃんと光を当てればきらりと輝くことに気づく。

そうやって見つけたものは すぐには書けなくても

時間をかけて熟成されたとき、

ひとつの文章になってたりするから面白い。

 

あまりにもゴチャついていて

ずっと放ったらかしにしていた引き出しを開けてみることもある。

ボンヤリしたものや モヤモヤしたものたちが押し込まれている引き出し。

そういうものにも ひとつひとつ輪郭を持ったカタチを与えたい。

だったらやっぱり、書くしかないんだなと思う。

ウンウン唸りながら書いたブログは 

産みの苦しみを味わった割には、誰の役にも立たない内容だったりする。

でも、それでいいんじゃないだろうか。

少なくとも 私の引き出しはひとつ片付いたし

自分のために時間を使うことも大事だよね。

 

最近読んでいて心惹かれるのは、日常の何気ない会話や出来事を

ユーモアあふれる切り口で綴っているブログ。

きっと、物事の機微をキャッチする心のひだを

私の100倍くらい持っていらっしゃるんだろうな。

あんなふうに日常を捉えて暮らせたら、豊かだなと思う。

いつか そんなブログを書いてみたいな。

 

 



 

 

特別お題「わたしがブログを書く理由