昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

お湯に浸かれば思い出す

大汗をかいた日のお風呂は気持ちいい。

頭のてっぺんから足のつま先まで サッパリと洗いあげたら

湯船にチャポン!

「はぁ〜、極楽じゃー」

日本人に生まれてよかったと思う瞬間だ。

 

お湯に浸かりながら、時折思い出すのは

学生時代にいただいた、あのお風呂のこと。

今考えても、ちょっと面白い経験をしたものだ。

 

大学入学後、ワンダーフォーゲル部に入部した私の何よりの楽しみは、

山頂から絶景を眺めることでもなければ、山で仲間と語らうことでもなく。

下山した後の 食事とお風呂だった。

合宿期間が長ければ長いほど、

下山したらありつけるまともな食事と 汚れきった我が身の洗濯で

頭がいっぱいになった。

 

特にお風呂は切実だ。

なにしろ、山小屋を利用しないテント生活だから

一旦入山したら、風呂もシャワーもない。

山歩きでどんなに汗をかこうが、汚れようが

せいぜい濡れタオルで拭くくらいが関の山。

そんな風だから、下山したあたりに温泉なんてあったら最高だ。

 

あれは、1年生の11月の合宿終わり。確か東北の山行だった。

下山場所に温泉がなくて、街に移動してから探そうということになった。

街といっても山の麓よりは少し開けている程度。

携帯電話もない時代、小さな駅前の案内板か何かで

一軒のお風呂屋さんを見つけ

重たい足を引きずって、女子3人でどうにかそこまで辿り着いた。

 

けれどそこは、どう見ても普通のおうち。

「おかしいな。ここのはずなんだけど…」

一刻も早くお風呂に入りたい私たちは、とにかく聞いてみようと

引き戸の脇の 呼び出しブザーを押してみた。

 

「はぁーい」

奥から元気な声がして程なく、ガラガラと戸が開いて

年配のご婦人が出てきてくれた。

「あのう、こちらはお風呂屋さんではないでしょうか?」

自信なさげに尋ねる私たちに そのご婦人はお風呂屋はもう廃業したのだと言った。

 

「そうだったんですね。どうもありがとうございました」

あー、やっぱり。もうお風呂は諦めるしかないか…

心に暗雲が立ち込め始めた矢先、信じられない言葉が後に続いた。

「お風呂沸かしますから、よかったら入っていって」

 

「いやー、それはさすがに申し訳ないです」

恐縮するニッカポッカ3人娘に、ご婦人は

「いいからいいから、早く入って」

と言いながら、どんどん奥へ行ってしまった。

 

顔を見合わせて、小さく頷き合い、私たちも静々と歩み入った。

きれいに整った居間のこたつを勧められて、

私たちはますます恐縮してしまった。

だって私たち、ご覧のとおり山から下りたてホヤホヤの

ニッカポッカ娘ですよ。

汚いですし、なんなら ちょっと臭うかもです。

(いや、絶対臭い)

 

そんな私たちにご婦人は

「もうちょっとだからねー」

と お茶とお漬け物まで振る舞ってくれた。

 

それから私たちは、代わる代わるお風呂をいただき

久しぶりにシャンプーと石鹸の香りに包まれて

身も心も清らかになったのだった。

 

帰り際にお礼を言って、心ばかりのお金を渡そうとしたけれど

頑なに受け取らなかった。

あれから三十ウン年、天使のようなあの時のご婦人は

今もお元気でいらっしゃるかしら?

その節は、本当にありがとうございました。

 

お湯でふやけた掌を眺めながら思う。

私に同じことが出来るかな?

見ず知らずの人のために、自分ちのお風呂を沸かしてあげるなんてこと。

二十歳そこそこだった私は感動して、あんな大人になりたいと

思ったはずだ。

そうなってるよと、あの時の私に胸を張って言えるだろうか。

 

目の前の困っている人に手を差し伸べられる人は

きっと遠くの誰かのためにも、迷うことなくそうするだろう。

今、目の前に誰もいなくても、助けを必要としている人が

世界のどこかにいること、その人のために自分が出来ることを実行すること。

目を背けず、想像し、考え続け、行動すること。

 

あの あたたかな心とお風呂を思い出すたびに

私は問われている気がする。

なりたかった自分になれているかい? と。