昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

アルバイト 〜お腹を空かせた先生だった頃〜

今週のお題「やったことがあるアルバイト」

 

 

“犬洗い 一匹 100円”

 

あれは80年代のCMだったかな。

小説家の野坂昭如さんが 井戸の水をバシャバシャ汲んで

タライの中で デッカいブルドッグかなんかを洗ってるのが

なんだか妙にカッコよくて。

 

犬洗うバイトがあるんだ とか

こんな有名な人も バイト経験たくさんあるんだな とか

いろいろと衝撃的で

 

あの an( アルバイトニュース)のCMは いまでも鮮明に覚えてる。

 

それから

カーカ キンキン カーキンキン って 

そうだ、カーキン音頭!

流行ったよね。

火(カー)金(キン)、週2回発刊の求人雑誌「フロムA」のCMソングで

河内音頭とレゲエのリズムが バブルで浮かれたあの時代にあってたな。

 

学生だったから バブルの恩恵は受けていないと思ってたけど

バイト探しで困ったことはなかったし

時給がいいのが結構あったから

バブルのおこぼれくらいは 手にしていたのかもしれない。

 

学費の高い私大に通わせてもらっていたので

せめて学費以外は自分で賄おうと アルバイトに精を出した学生時代。

 

「遅刻しそうになっちゃってぇ」

とタクシーで正門に乗りつける同級生もいたが

私はそれを尻目に 片道2時間半の道のりを 電車に揺られて通学していた。

 

お昼代に 教材費に 文房具代

化粧品に 流行りのファッション 美容院

よくもまぁ、そんなに稼いだものだ。

それと 年に6〜7回ある ワンゲルの山行合宿の費用。

これも馬鹿にならない。

 

この辺で 私の学生生活を支えてくれた「やったことがあるアルバイト」

よし、思い出してみよう。

 

○マネキン各種

(スーパーなんかで 食品やお酒などをお客さんにお薦めする売り子さんのこと)

○お菓子の袋詰め

○バレンタインチョコの包装

明治神宮でお汁粉売り(大晦日の夜〜)

○テレフォンアポインター

○家庭教師

 

もっといろいろあった気がするが、思い出したのはこんなところ。

家庭教師をメインに、単発や短期のアルバイトを掛け持ちした。

通学時間が長いし、週3くらいでワンゲルのトレーニングがあったから

アルバイトに充てられる時間は 意外と少ない。

何にせよ、短時間で稼げる高時給の家庭教師は有り難かった。

 

家庭教師は 個人で請け負ったのと

家庭教師センターに登録して派遣されたのとで

これまた 掛け持ちしていた。

生徒は だいたい中学生。

 

いろんなご家庭があった。

おじゃましているうちに、なんとなく そこはかとなく

内部事情がわかってくる。

「あー、この子 ちょっと心配だな」と思うと

勉強より 話し相手になってたり。

 

そういう子が 途中で辞めちゃったりすると

いくら心配でも もう会えなくて、

最寄りの駅を通過するたびに 

元気にしてるかな?

と 思い出しては 幸せを願うしかなかった。

 

私が出した宿題を いつもきちんとやって

真面目で 無口な女の子がいた。

声が小さい私に輪をかけて

彼女の声はか細くて

ふたりして あんまり静かだから

にらめっこでもしているんじゃないかと

お母さんは心配ではなかったかな なんて

今になって思う。

 

少し時間が経つと 決まって コーヒーとおやつを持ってきてくれた。

合宿終わりで アルバイト代が底をついているときは

大抵空きっ腹だったから 内心 ものすごく楽しみにしていた。

それを悟られると恥ずかしいのもあって 

やせ我慢して

ちょっと間を置いてから 頂いたりしてね。

 

ある日 帰宅すると、和室の自室には似合わない

白くて立派な蘭の鉢植えが置いてあった。

しばらく見惚れていたが、そのうち

手紙も一緒に届いていることに気づいた。

無口なあの子の字だった。

 

志望校に合格したことと 感謝の気持ちを

ちっちゃくて丁寧な字が伝えてくれた。

 

 

アルバイトをして お金をもらって 楽しくて

でも少しだけ、生きていくって大変なのかも と思っていたあの頃。

 

息子には 社会に出る前に 

出来るだけ アルバイトをしてほしいと思っている。

働く喜びも 苦い思いも 

早いうちに そこから受け取ってほしい。

経験が 人生のいちばんの先生になる

今、そう思うから。