昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

タケコ女史とにわかファーマー

タケコ女史」のことを覚えておいでだろうか。

2軒隣に住むチャキチャキの70代後半にして

ゴミ箱配りの競争相手であることは、以前記事にした。

 

tsuke-mama2024.hatenablog.com

 

そのタケコ女史、なにを隠そう家庭菜園の達人である。

日当たり抜群の明るい庭の土は 

コンポスト生ごみや落ち葉から作られていて、栄養たっぷり。

野菜たちにとっては まるで おひさまの匂いがする ふっかふかのお布団のようだ。

その 気持ちよさそうな土に 

さまざまな種が蒔かれ 苗が植えられて

やがて 艶々のナスや愛らしいサヤエンドウになる。

 

ある日、インターホンが鳴って出てみると 

前掛姿のタケコ女史が お豆腐のパックを持って立っていた。

よくよく見ると

パックには土が詰められていて

まだひょろひょろと頼りなさそうなサラダ菜の苗が数本植えてあった。

 

「種をたくさん蒔きすぎちゃったのよ。食べきれないから、あなた貰ってくれない?」

タケコ女史はチャキチャキと そう言った。

正直、ちょっと気が重くなった。枯らしちゃったら申し訳ないと思ったのだ。

すると それを察したのか

「ダメになっても、まだいっくらでもあるから。その時はまたあげるわよ」

と言う。

それなら、遠慮なく…と頂いて、プランターに植え替えた。

 

サラダ菜は、時々水をあげるくらいの世話で

放っておいてもどんどん大きくなって

食べごろになった葉を 摘んでは食べ 摘んでは食べして

しばらく楽しんだ。

タケコ女史は「あげてからのことは知らん」とばかりに

後からなんにも言ってこないので、こちらも気楽に育てられて助かった。

 

「サラダ菜、おいしかったです」

とお礼を言ったら、たまに玄関先にお豆腐のパックが置かれるようになった。

私はそれを見つけると ウフフと思わず笑顔になって

またいそいそとプランターに植え替える。

もらってうれしいというより(もちろんそれもあるけど)

タケコ女史がそっと置いて帰る姿を想像すると

微笑ましく感じるのだ。

 

去年の夏は、青じその苗をもらった。

大好物なのだけど、夫があまり好まないので

いつからか 買わなくなって久しかった。

(自分で育てればいつでも食べられるのか!と目から鱗)

それはもう、小躍りするくらいうれしくて

毎日が青じそ祭り。

「摘んだら早く食べたいもんだから、包丁で刻むなんてしないで

 手でちぎっちゃってます」

「あら、仲間がいた」

そう言い合って、ふたりでガハハハと笑った。

 

つい先日のこと。

タケコ女史がお豆腐のパックをふたつ持ってきた。

ひとつは いつものサラダ菜。

そしてもうひとつは、ブロッコリーの苗だった。

なんと、種から育てたのだそう。

(ブロッコリーの種って、どんなだろう?)

なんだか少しずつ、ハードルが高くなってる気がするけど

そこはあまり気にしないで育ててみようと思う。

収穫できたらすごいよね?

 

タケコ女史とは こんな具合に付かず離れずなお付き合い。

押し付けがましくなく

ズカズカと踏み込むこともなく

けれど、なんとなくお互いのことがわかっていて

心が通い合う瞬間もある。

風通しの良いそんな関係が、

知り合いのいない土地に越してきた私には 有り難く

心地いい。

 

だから感謝の気持ちを込めて

今回も この言葉で締めくくろうと思う。

 

どうかどうか、これからもずっと

お元気でいてくださいね。