昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

親の味覚 子の味覚

私のブログをずっと読んでくださっている方は

薄々お気づきかもしれないが、

私の料理は、切るだけ、漬けるだけ、焼くだけ、煮るだけ、揚げるだけ

と、“○○するだけ”が多い。

つまりは料理に対する情熱が薄いのだろうと思う。(他人事みたいだけど)

 

まあでも、シンプルな料理が悪いわけではない。

たとえば、冷奴。

冷たい豆腐の上に刻んだネギやすりおろした生姜、削り節なんかをかけて

さっと醤油をかければ、もう立派な一品になる。

昔馴染みの気の置けない友人のような安心感。

はぁー、ホッとするねぇ。

 

いっそのこと薬味なんてやめて、旨い塩を

上からパラリとかけて頂くのもいい。

大豆の甘みが引き立って、これまた滋味深いのである。

 

こういう楽しみ方を分かち合える 同じような舌感覚の人が

身近にいると楽しいのだが、家族にはいない。

残念だ。そう思っていたが、それは思い違いだった。

 

 

12歳になった息子は、マヨネーズやケチャップが好きな

現代っ子らしい味覚を持っている一方で、かなり渋好みでもある。

一緒に買い物に行っておやつを買っていいよと言うと、

マシュマロと一緒におしゃぶり昆布をカゴに入れたりする。

 

おしゃぶり昆布から開封したようだ。

蕎麦屋に行けば、まずは蕎麦、次いで天ぷらを頂き、最後に蕎麦湯を啜って終わる。

(わさびの美味しさもわかるようになったらしい)

メニューに「季節の和菓子」なんてあれば、目ざとく見つけて味わう。

 

梅干しはデザートだと思っているのか、

ごちそうさまの後 口に放り込んで

種だけになっても いつまでも名残惜しそうに口の中で転がしている。

 

この子の中には、おじいさんでも入ってるんじゃなかろうか?と

本気で疑ったこともある。

 

機は熟したのではないか。今がその時かもしれない。

私は、彼が塩で豆腐を味わえる舌の持ち主かどうかを 確かめることにした。

勝負の塩はこちら、KALDYの「トリュフ ソルト」である。

 

KALDIって楽しいよね

私は先んじて、この塩で冷奴を試していた。

トリュフの香りが鼻から抜けて、美味しい。

豆腐を、より丁寧に味わいたくなる。感覚が研ぎ澄まされる。

目玉焼きや天ぷらにも合いそうだ。これならば、勝負塩としていいだろう。

 

「今日さ、このお塩でお豆腐食べてみない?」

トリュフ ソルトを見せると

「あ、世界三大珍味だ!」って、なんで知ってるのさ?

そして普段はあまり冷奴を好まない息子が

「なにこれ、旨ーい!」

とペロリと平らげたのを、この目で見届けたのだった。

やはり。私の目に狂いはなかったようだ。

 

一緒に暮らし、同じようなものを食べていると

子の味覚は、親のそれに似てくるのだろうか。

自分が小さな頃を思い返してみても、

父の晩酌のあてに出されていた塩辛やホタルイカの沖漬け、

焼き鳥なんかが 妙に美味しそうに見えて

「少しちょうだい、少しちょうだい」

とご相伴にあずかっていた。

これは味覚が似たのでなくて、酒飲みの血が遺伝したのかもしれないが。

ともあれ、父と私の味覚は似ているところがある。

(ソースをドバドバかけるところは似なかった)

息子も私に似たところがあるのだろう。

 

息子の味覚を私が作っているのかもしれないと思うと

ちょっと責任を感じるが、そこはあまり深く考えないことにしよう。

味覚が似ているなら、もしかしたら彼も私に似て

嗜む程度にはお酒が飲めるかもしれない。笑

 

そうだったらいいな。

彼が大人になって、なにか嬉しいことがあったなら

一緒に乾杯したい。

そのお酒は、どんな味がするんだろう。