昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

褒められ上手になりたい

“褒められ上手な人は 育ちがいい人”

 

というのは 私の偏見かもしれないが

 

ひとから褒められて

 「あら、ありがとう」 とか

 「私も気に入ってるの」

なんて言葉が さらさらと 口を衝いて出てくる人は

素直で 相手の腹の中を探らない 清らかな性格の持ち主である

という勝手なイメージが 私にはある。

 

そういう人に出会ったり そんな場面に出くわしたりするたびに

心底 憧れるし 素敵だと思う。

これは間違いなく 後天的に育まれた性質なのだから

訓練すれば そのようになれるのかもしれない

と 褒められ下手な私は 思うのである。

 

一方で、そもそも そんなに褒められることもないし

滅多にない場面に備えるなんて 滑稽だよな とも思う。

 

しかし、たまに来る 褒められウェーブをうまく乗りこなせないばかりか

せっかく褒めてくれた相手にも 気まずい思いをさせてしまうことすらある

となれば 話は変わってくるかもしれない。

 

2ヶ月くらい前、美容院の帰り際に こんなことがあった。

 

担当の美容師さんが 私の指輪を褒めてくれたのだ。

それは昔、旅先で買った思い出の指輪で

大切にしているし 気に入ってもいる。

「それ、きれいな指輪」

と言ってくれた彼女に

「指が太くなっちゃって、これしか入らないのよね」

と返してしまった。

 

そのときの 彼女の微妙な表情が忘れられない。

 

自分に対する残念な思いで 

近づき難い人オーラ全開のまま 街を歩いた。

 

どうして素直に 褒められようとしないのか。

なぜ かわす? なぜ 気持ちと裏腹なことを…

バカ バカ バカ!

そうやって 自分の頭を叩くシーンをドラマで見たことがあるけど

まさに そうしたい心持ちだった。

 

神様 今度は私 ちゃんとやってみせます。

だから もう一度 チャンスをください。

そう願ったからか、それは本当にすぐやってきた。

 

友達とショッピングに行って 会計の時

若い店員さんに またもや

 「その指輪 素敵ですね」

と 声を掛けられたのだ。

 

キターーー!!!

 

褒められウェーブは いつも突然やってくる。

胸に手をあてるとか 耳たぶを触るとか

野球みたいに サインでもあればいいのに。

いや、そんなもんがあったら 余計に身構えてしまうか。

 

とにかく これは千載一遇なのだ。

私は やり遂げなければならない。

自分の娘でもおかしくない年頃の このお嬢さんの顔を

曇らせるわけにはいかないのだ。

 

私は 一瞬たじろいだが すぐに持ち直して

 「ありがとう。思い出の指輪だから、うれしいわ」

と言って、微笑んだ。

彼女も 私の言葉に反応して 微笑み返してくれた。

 

これよ、これ。

これなんだわよ。

 

この歳になって 馬鹿みたいだけど

とってもうれしくて、清々しかった。

 

 

神様は

 「あ、ごめん、今の見てなかった」

なんて言って、また私に 褒められレッスンを仕掛けてくるかもしれない。

でも、少しは自信がついた気がする。

 

相手の気持ちを素直に受け取って、それに「ありがとう」を伝えること。

褒められ上手の極意は 気持ちの一方通行ではなくて

「交歓」なんだと気づけたからだ。