昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

あの頃、世界の真ん中だった場所

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

小さい頃、団地に住んでいた。一本道の突き当たりにあって、まわりはどこまでも続く田んぼに囲まれていた。玄関のドアを開けると、カエルみたいにピョンピョン跳んで5歩くらいのところに、小さな公園があった。公園といっても、砂場と鉄棒と滑り台があるだけだったけど、そこがわたしの世界の中心だった。

 

とりわけ滑り台は公園の中でも格上の場所で、ちょっと大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんが先に遊んでいると、うかつには近づけない。ジリジリとにじり寄って、「一緒に遊ぶ?」というひと言を待つ。おてんばのくせに自分からは「あそぼ」と言えない、そんな子だった。

 

滑り台ではいろんな遊びをした。滑り台をおっきな船に見立てて島を目指す「旅ごっこ」や、下にいるワニ役の子に捕まらないように缶を蹴って、滑り台の上に逃げる「ワニごっこ」。階段に座って絵本を読んだり、おやつをあげたりもらったりして食べた。

ワニごっこでは、ワニに捕まりそうなわたしを仲間が助けようと、腕を引っ張った拍子に脱臼して大泣きした。けど、それに懲りて滑り台で遊ばない選択肢はなかった。笑ったり、泣いたり、ケンカしたりしながら、わたしたちは一緒に育った。

 

その頃、あるヒーローにはまっていた。日頃おもちゃをねだらないわたしが、そのヒーローのヘルメットと光るベルトは買ってもらっていたのだから、相当欲しかったんだろう。

家の中で母に両方つけてもらって変身完了。そのまま玄関ドアの前で変身ポーズをきめて、公園に繰り出す。公園中の視線を一身に受けて、わたしはこそばゆいような、でももっと見てもらいたいような気持ちになった。

 

ある日、わたしはいつものように変身して公園に行った。でも、大ちゃんもさっちゃんも、年上のみっちゃんたちもいなかった。こんなことは滅多にない。少しがっかりしたけれど、それはすぐに、滑り台をひとりじめできる喜びにとって代わった。

わたしは張り切って階段を上り、お尻で滑ったり頭から滑ったりして満喫した。さすがに疲れて足にきていたのだろうか。わたしは階段を踏み外してしまった。気づくと、階段の板と板の間に体がすっぽりはまっていた。見ていた人がいないので、具体的にどんな状況だったのかわからないけれど、首のあたりが苦しくて足が地面についていなかった。このままだとまずいとも思ったけど、「死ぬ」とは思わなかった。死ぬってどんなことか、知らなかったから。そういう意味では、このお題にふさわしいのかわからない。だけどいま振り返ると、ちょっと冷や汗ものだったと思う。

 

どうやって脱出したのか、よく覚えていない。長く感じた時間はたぶん一瞬で、自力で脱出出来たのだから、大したことではなかったのかもしれない。

(わたしが育った時代は、公園まで親がついてくることがあまりなかったし、団地の住人しか利用しない小さな公園だったから、その場にいなかった親を責めるつもりはない)

このことは、誰にも言わなかった。もちろん、両親にも。言ったらなぜだか、ヘルメットを取り上げられてしまうような気がしたからだ。そしてそれからは、あまり変身しなくなったように思う。

 

この間、Google Earth団地の住所を訪ねてみた。老朽化していたがまだ残っていた。思っていたより、建物がだいぶ小さくてびっくりした。しばらく団地の敷地を散歩した。大ちゃんやさっちゃん、みっちゃんたちも、いまごろどうしてるだろう。みんな元気かな。

記憶をたよりにしばらく行くと、道路からぎりぎり、当時住んでいた部屋が見えた。けれど、公園は見えなかった。

それでよかったのかもしれない。これからもずっと、あの頃の記憶のままで思い出したいなと思うから。

 

 

 

*yunico_jpさま お題、お借りしました。ありがとうございます!