木造校舎の一階の教室で、私は大好きな正子先生の授業を受けている。
新しく習った黒板の漢字を丁寧に書き写しながら、
私は天井を気にしている。
授業が終わる少し前に、やっとそれは現れた。
きらきら輝いてゆらめいている。
天井が水面になったのだ。
水面下にいるはずの私は、息をすることができた。
それに触りたかったけれど、届かなかった。
誰も、晴れた日に天井が水面に変わることを口にしない。
正子先生は授業が終わると、何事もなかったように
教室から出ていってしまった。
きっと、みんなは知っているのだ。
どうして天井が水面になるのかを。
私だけが知らないなんて恥ずかしいから、黙っていようと思った。
ある日、正子先生が「先生に伝えたいこと、お話ししたいことを
作文に書いてください」と言った。
私はどきどきした。
直接聞くのは勇気がいるけれど、作文になら書けるかもしれない。
先生はあとで、こっそり教えてくれる。
「せんせい、あのね、…」
私は不思議な天井のことを書いて提出した。
正子先生は花丸をくれたけど、私の疑問に答えてはくれなかった。
校門を出てしばらく行ったところに、お寺の大きな門があって
両側に仁王様が立っている。
私は太い柱の陰に隠れて、仁王様を盗み見る。
必ず目が合ってしまう。何か言いたそうだが、こらえてくれている。
さっき田んぼの隅をかき回して、カブトエビを脅かしたのを
知っているのだろうか。
それとも、朝、牛舎に赤いランドセルを見せながらカニ歩きをして、
牛たちを挑発したことを怒っているのだろうか。
私はなぜか後ろめたい気持ちがある時だけ、仁王様を覗きに行った。
いま、息子が夕飯を食べている。
その横顔を眺めていると、「あなたはどこから来たの?」
と尋ねてみたくなる。
私はあの頃の少女のままで、あなたの母であることが
無性に不思議なのである。