むかーしむかし ダイエットしたときのお話です。
その頃、毎日の楽しみといえば
職場に向かう途中のコンビニで 甘いカフェラテやおやつを買うことでした。
その上 何時間も座りっぱなしのデスクワーク。
運動しなくっちゃ と思ってはいたものの、
仕事で疲れてしまって そんな気力が湧くはずもなく。
その結果、体重は少しずつ右肩上がり、日々 記録更新しておりました。
仲良しの同僚が ちょうどダイエット中で
一緒なら続くかも と私も始めてみることに。
方法は、甘いものを控えることと、ウォーキング 時々 軽いジョギング
と いたって普通だったのですが
スルスルと 面白いように体重が減っていき
最終的には 4〜5ヶ月で6キロの減量に成功しました。
でも、お風呂の椅子に腰掛けると 骨がゴリゴリあたって痛い。
(おしりの肉まで落ちたかー)
さすがに ちょっと痩せ過ぎた と思いました。
そこで 少し体重を戻そうと 食べる量を増やしました。
不思議なことに、食べても食べても すぐにお腹が空きます。
体重は一向に増えません。
「 わたし、痩せ体質になったんだわ」
そう思いました。
ちょっとした異変
その頃から 異様に汗をかくようになりました。
通勤時 最寄りの駅まで自転車だった私。
真冬にたった10分こいだだけで 汗だくです。
暑くて暑くて、ダウンコートを着ていられず
ホームで脱いでしまう始末。
コートの襟を立て 寒そうに身を縮めている人を見て、
そんなに寒いかなぁ と不思議に思っていました。
その他にも
足に力が入らない (膝がガクガク)
足が攣りやすい (発汗の影響?)
腸の調子が悪い (頻繁にお腹が痛くなる)
などの症状がありました。
こんなに いろいろあっても
体重が落ちた影響で 体力落ちた?
ストレスのせい?
と どこまでも軽く見ていました。
困ったのは 手の震えです。(他も十分 困った症状なのですが)
食事中に 箸やコップを口に運ぶたび
ブルブル震え それは人目を引くほど。
「もしかしたら脳の病気?」
そんな疑念がよぎりましたが、それでもまだ病院に行かず
忙しさにかこつけて 先延ばしにしていました。
そして 極めつけは軽く鬱っぽい症状。(まだ あったんかーい)
朝、身支度をしていると
「会社に行けない」
と わけもなく涙が出てきて そのまま動けなくなりました。
夫が 気分転換にカフェにでも行こうか と
誘ってくれても、ただ悲しくなるだけ。
気力の代わりにあふれてくるのは 涙でした。
救世主 現る
こんな状況を打破してくれた人がいます。
それは 鍼灸師さん。
当時 私は、体質改善しようと 鍼灸院に通っていました。
(病院へ行けって話ですよね)
その日 いつもの鍼灸師さんが 急きょお休みとなり
代わりに院長が施術に入ってくださいました。
施術の前に 脈をとってもらうのですが、院長は
「ん?」
と 首を傾げ
「ちょっと顎をあげてみて」
「目玉だけこっちを見て」
と しばらく 私を診て
「まぁ、大丈夫だとは思うけど…」
と前置きしてから
「頻脈だね。甲状腺の病気って言われたことありませんか?」と。
「甲状腺…ですか? ないですけど」
と答えながら、頭の中は ? ? ?
頻脈? 甲状腺って何? え、なんで?
家に帰るとすぐに「甲状腺 病気」で検索しました。
すると 身に覚えのある症状のオンパレード。
「?」は 次第に確信に近い「!」に変わっていきました。
専門病院へ
そこからの私は迅速でした。(やっと)
甲状腺の専門病院を見つけて すぐに受診。
血液検査とエコー検査の結果「バセドウ病」と診断がついたのです。
ちなみに…
甲状腺ホルモンが過剰に分泌されてしまう病気です。
全速力で走っているような頻脈が ずっと続いてしまう。
体重減少や発汗、不安定な精神状態も
すべて この病気に起因していたのでした。
(ダイエットが成功したわけじゃなかった😱)
放っておくと、心不全や骨粗鬆症を引き起こすと言われていますので
当時の私の能天気っぶりで 命を落としていたかもしれないと思うと
ゾッとします。
鍼灸院の院長先生は 私にとって命の恩人。
後日、改めてお礼に伺ったのは 言うまでもありません。
その後は投薬治療が順調に進み、幸い数値が安定して 寛解と相成りました。
(バセドウ病は再発することがあるので「完治」とはならないのです)
* * *
いろいろと 異変に見舞われていたにも関わらず
自分では 病気だとはっきり気づけませんでした。
忙しさが理由だったのか はたまた 自分でなんとか出来るという
変な自信があったのか。
いずれにせよ 自分と病気を結びつけたくない という
おかしな防衛本能が働いてしまったように思います。
その後 息子を授かったことを思えば
二人分の命を救って頂いたようなもの。
鍼灸院や病院の方々には 感謝の気持ちでいっぱいです。
「健康に自信は禁物」
これが 私が過去の失敗から学んだ 教訓なのでありました。