昔、くじらぐもにのりたかった

暮らしとインテリアと、時々雑談

日記はつづかないけれど…客観的に「私」を記録する

日記というものが続いたためしがありません。幾度か始めてみたことはあるのです。でも、何日か経って自分の書いたものを読み返してみますと、小っ恥ずかしくなって衝動的にページを破りとってしまう始末。そんなふうですから私の日記帳には、ページを破った後の紙の端が束になって残るだけです。それもこれも、その日の感想や感情をありのままに、あるいは少し熱のこもった、いまで言うエモい表現で書いた末の結果です。かといって、その日の出来事を淡々と書くだけでは面白みを感じられず、やはり続けることができませんでした。

 

こんな私ですが、記録する手段として唯一続いていることがあります。それは「切って貼る、ファイルする、メモする」という行為です。そうやってなにを記録、保存するのかといいますと、その時に自分が興味を持ったこと、感銘を受けたこと、感動したことなどです。

 

ノートやファイルにこだわりはなく、家にあるものを使います。

 

 

 

 

出掛けていった企画展などのパンフレット、雑誌の切り抜き

 

 

 

 

 

 

 

ピカソと、禅語と

 

 

藤田嗣治の記事、藤田が晩年を過ごした家にあったミニチュアの写真記事

 

 

ジャンルはいろいろ

 

 

 

 

旅の記録

 

 

 

 

 

 

 

 

旅日記は、多少エモくても許せる

 

 

興味あることをメモ

かわいいこと、描いてますな

 

そろそろ、恥ずかしくなってきました。

以上が、記録の一部です。日記のように繊細で詳細な記録にはなりませんが、その時々の自分がどんなことに気持ちを傾けていたのかがわかります。客観を通して主観を知るといいましょうか。自分のことは書かずとも、自分のことがわかるということです。思い出した時に開くと、時間潰しになります。結構、面白いです。

 

時々、自分は空っぽな人間だと思うことがあります。そんなときこの記録を眺めると、多少なりとも積み重ねてきたものを思い出すことができます。それらがほんの少しでも、いまの私の一部となってくれていると信じたい。この記録はずっと続けて、寿命が尽きる少し前にさっぱりとした気持ちで捨てられたら幸せ、と思っています。